箱根 彫刻の森美術館

常設作品紹介

ピカソ館


現在の展示(2014年8月〜)は、パブロ・ピカソ(1881~1973年)の長い作歴をテーマによって分類し、初期から晩年の作品を自由につきあわせています。するとそこには、あるひとつのテーマに対するピカソの一貫した姿勢があらわれます。動物や半神、愛と死、破壊などのテーマは、ピカソがひとりの人間として、人間的なものと生けるもののドラマのみに関心を抱きつづけたことを明らかにしてくれます。 

 
デイヴィッド・ダグラス・ダンカンによる写真も、この巨匠の日常生活を生き生きと示しています。こうしたピカソの関心事と一貫した現実主義者としての姿勢、そしてその人間像を、啓示にみちた言葉とあわせて、浮き彫りにしています。

テーマ解説


遊び
地中海沿岸の小さな町マラガで生まれたピカソは終生、その環境を愛した。作品には古代地中海神話の登場人物がしばしば現れ、彼らは明るい太陽の下で陽気に歌い、踊り、笛を吹く。地中海の太陽がピカソにもたらしたものは軽やかさであり、喜びであり、楽しさであった。

彼の霊感の根源は実際遊びのうちにあり、そしてその物体や理念との果てしない戯れは、創作の方法の一つの本質的部分なのである。 ローランド・ペンローズ「ピカソ その生涯と作品」より

画家とモデル
心の奥底を最もさらけ出し、繰り返し描いた晩年の主題。醜く年老いた画家は若々しく美しいモデルを前に、羨望の眼差しを送る。『老い』と正面から向き合った時、自分自身に冷酷とまでいえる自虐的な視線を向けている。生き生きとした『性』に対する執着が、生きることへの執着であった。

愛こそは価値ある唯一のものである。ピカソ


死への恐れ
1965年、84歳の時に胆嚢の手術を受け、老齢化と手術による負荷のため、非常に死を恐れるようになる。これは幼いころに妹が亡くなった時からあるが、年々その恐怖感は増し、死を現実のものとしてとらえるようになった。老いと死を意識した時期であるが、それでも現実を厳しく見つめ、記録し続けた。

いいかね、僕はすべてのスペイン人と同じく、レアリストなんだ。ピカソ


対象の解体
複数の視点を導入した作画法。人体を切子細工のように分割して再構成することで、現実をより正確にとらえようとした。キュビスムとは「小さな立方体(キューブ)が集まった絵」と評されたことから命名。三次元の対象を二次元である絵画において表現した。

私の考えでは、絵画において探求することなど何の役にも立たない。発見すること、それが大切なのだ。ピカソ


動物
晩年、南フランスの住居で犬や鳩、山羊などの動物を飼って暮らし、動物をテーマに数多く制作している。

誰もが芸術を理解しようとする。しかしなぜ鳥の歌を理解しようとしないのか。人が自分を取り巻く全てのもの、夜や花を理解しようとしないで、愛せるのはなぜだろうか。なぜ絵画にかぎって人は理解したがるのだ。ピカソ

動物・静物
陶芸を試みるのは66歳の頃からで、絵画と彫刻の要素を合わせ持ったその表現方法に熱中した。主題は広範囲にわたり、中でも鳩はお気に入りのモチーフで、幼い頃から繰り返し作品に登場してきた。

ご覧のとおり鳩を作るには、まず首をひねらなければならないのだよ。ピカソ


肖像
人体の表現において幅広い変化を示した。古典的な技法に従って写実的に描いて人生の真実を問うたり、キュビスムの分離的な造形法を取り入れて身近な人物を表すなど、常に生きることへの意味を問い続けた。

人々が自伝を書くところを、私は絵を描く。完成作でも、未完成でもそれは私の日記なのだ。ピカソ


闘牛
華やかさと残酷さ、生と死を合わせ持つ闘牛は、最大の楽しみであった。単なるスポーツではなく神聖な儀式であり、人生に匹敵するドラマであった。溢れ出る想像力にまかせて闘牛を描き出し、少年期から晩年にいたるまで、スペイン人ピカソの血を刺激した。

一つのものを仕上げるとは、それを終えること、それを破壊すること、それからその魂を奪い去ること、闘牛場の牛みたいにそれに『とどめ』を刺すということだ。ピカソ


引用
巨匠たちの名画を数多く模した。表現の習得のためともいえるものから、全く独自の表現へと変容されたものまで、そのレパートリーは幅広い。古典作品の構図や空間構成を解体してそぎ落とし、人物を自由に動かし、本来なかった要素を加えながら、それらを自在に変容させた。

他人を模倣するのは必要なことである。しかし自分自身を模倣するのは哀れなものだ。ピカソ

理想
女性は生涯のモチーフであり、無尽蔵のインスピレーションをピカソへ与えた。神話的で普遍的、静謐で暖かさをもつ理想の女性像を描いている。

君はヴィーナスを愛しはしない。君は一人の女を愛するのだ。ピカソ


オブジェ
好奇心旺盛なピカソは、南フランスのヴァロリスにあるマドゥーラの陶房で、古くから伝わる陶芸技術を経験豊かな職人たちから学び、次々に浮かぶアイデアを思いのままに形作った。既存の品々を活かしたそれらの作品には、ユーモアと遊び心が表われている。

さて、またやってみよう!ピカソ


破壊
絵画に造形的な力強さを求め、それは暴力や破壊のイメージをともなって、人体を強烈な力でねじ曲げるような表現となる。多くの創造的な制作を行いながら、同時に破壊への願望もあり、戦争という不条理な破壊的現実と自らの破壊的なエネルギーを対置させて、悪魔的な側面を表出した。作り上げたものを壊すという、相反する願望が同居していた。



自画像を含め、身近にいる人物の肖像をたくさん描いた。横顔の美しいジャクリーヌ・ロックと再婚したのは、ピカソが80歳の時。陶芸においても、自我の投影ともいえる『顔』を量産し、晩年にかけてはいっそう戯画的傾向を強めた。

私があの子供たちの年齢のときには、ラファエロと同じように素描できた。けれどもあの子供たちのように素描することを覚えるのに、私は一生かかった。ピカソ
ピカソ コレクション 展示作品リスト