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私が写真を始めたのは中学2年生の頃だ。ブラスバンドを辞めたり、引きこもりになっていたりした時期を経て、2年生になったのをきっかけに「写真部に入らないか?」と友人が誘ってくれた。写真が好きな父親の影響もあったのか、私はすぐに写真に馴染んだ。自己表現の手段として音楽よりも自分に向いているかも知れないと思った。その頃、写真のテーマはおぼろげながらも自分の中にすでにあったようだ。それは、人々の心をもっと清く、安らかにしたいというものだった。 私は生後3ヶ月から高校2年生位まで、腰椎カリエスという病気にかかっていた。腰の骨が結核菌で侵され、崩れてしまうのだ。このお陰で、痛みに悩まされ、ずいぶん自由が奪われてしまった。周りの人々も家族以外は私に冷たかった。やっとの思いで遠足に参加しても、お弁当を食べる皆の輪の中には入れず、私と母親はすこし離れたところでお弁当をひろげた。孤独と絶望にさらされた毎日だった。 写真という手段で人々の心を優しくしたい、そうしたら私の様な落ちこぼれでも生きていく隙間が社会に出来るのではないか・・・。あれから45年以上もの間、写真を撮り続けている。どんな国に行き、どんな人や光景が私のカメラの前に現れようと、人々の心を優しくしたいという願いを常に私は抱いていたようだ。これは私に後天的に備わった、ひとつの本能のようなものだろう。 こうして私の写真のほぼ全容を見ると、人々の生きている姿を演出することなく素直に撮っていることに気付く。被写体として選んだ人々がとてもよい人間性をすでに持っていたのだろうか。そのためか、写真を撮れば撮る程、私は幸福になっていく自分を実感した。 私と被写体との間は、何か清い運命でつながれている様で、もう少年時代の寂しさを感じてなくても良いんだと、被写体の人々は私にいってくれているように思えた。私の写真やカメラを受け入れて下さった、そうした人々に感謝しなくてはならない。 本日のご来場誠にありがとうございます。 あなたがこの写真展で少しでも、何気ない日常の中にある「希望」を発見し、明日からもっと素敵に生きていってくれたらと願います。いつかあなたにも私のカメラを向けさせて下さい。 Feb.2011
ハービー・山口 |
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