1929年の渡仏後、岡本は次第に純粋抽象の世界から離れ、シュルレアリスムに出会う。1940年帰国。戦後はいち早く対極主義を唱え、理論面でも日本の前衛芸術をリードしてきた。1970年、大阪万博のシンボル《太陽の塔》(万博記念公園)を制作。有名な「芸術は爆発だ」という彼の言葉は、コミュニケーションや理解も拒絶し、効果や結果、また歴史的、文化的、時間的な枠をも超えて、無目的に膨張し続けるという自己の芸術感が表されたものである。この《樹人》も、自由奔放に増殖し続けていくような、ダイナミックな生命力にあふれている。