彫刻の森美術館

常設作品紹介

ヘンリー・ムーア コレクション

彫刻の森美術館所蔵のヘンリー・ムーアの作品は26点を数え、規模からいって世界有数のコレクションのひとつです。全品の制年も1948年から84年、彼の円熟期から晩年にまでわたっています。ムーアより贈られた《直立した接続するかたち》(1979年)、アメリカの元副大統領ネルソン・ロックフェラーから購入した《ファミリー・グループ》(1948-49年)、それに1986年に購入した16点を中核として、ムーアの芸術の本質をうかがわせる佳品が揃っています。
ムーアはイギリスで美術教育を受け、制作活動を続けました。キュビスムやシュルレアリスム、またメキシコ芸術や部族芸術にも影響されながら、やがて独自の野外刻の様式を確立し、世界的に高い評価を得ました。彼によってイギリスの彫刻は活況を呈し、現在にまで至るイギリスにおける彫刻の優位をもたらすこととなったのです。
《ふたつに分けられた横たわる像:カット》(1979−81年)に見られるように、彼の彫刻の魅力は有機的な形と量感、また量塊の分断などによって作られた空間にあります。人体や、自然の中に見いだされる骨、小石、貝殻、木などの形に基づく簡潔な形は、多くは母なる自然のうねりと同調するような曲面を描き、どっしりとして安定感を与えます。「彫刻の背景として空以上にふさわしいものはない。堅固な形態が、相反する空間と際だった対照を示すから」とムーアはいっていますが、彫刻の森美術館の《横たわる像:アーチ状の足》(1969−70年)は相模湾を遠くに望む広い空間に置かれて、魅力を十全に発揮しています。
また、ムーアは自分の彫刻のテーマを「母と子」「横たわる像」「内/外のかたち」の3つに大別できると語っており、彫刻の森美術館のコレクションではこの3つのテーマ全てをみることができます。

母と子

ムーアは1921年ロンドンの王立美術学校に入学した。大英博物館に通ってメキシコ彫刻を研究し、その影響を受けて翌年には〈母と子〉シリーズを始めた。《ファミリー・グループ》も、父親の加わった「母と子」のテーマの変奏といえる。ムーアはほとんど男性像を制作しなかったが、この作品では母親の左肩に手を置いた父親が組み入れられて、構想を練っている間に、娘のメアリーが生まれて父親となったムーア自身の経験が反映されている。流れるような曲線を描く両親の腕が、子供を中心に結び合わされており、家族の絆を巧みに造形している。守られるものである子供が、保護するものである両親に抱きかかえられている形は、「内/外のかたち」のテーマの展開でもある。《ファミリー・グループ》は、第2次世界大戦前、ケンブリッジシャー州の教育局長が、子供だけでなく両親にも学ぶ機会を与える学校の創立という構想を持ち、その学校のための彫刻をムーアに依頼したことに始まった。しかし、学校は資金的な問題で実現しなかった。1947年、計画を知っていた別の教育者から、別の学校のために改めて依頼を受けて《ファミリー・グループ》は完成した。等身大の作品をブロンズ鋳造するのはムーアにとって初めてのことであり、鋳造所との仕事は困難で時間がかかったが、人間愛を感じさせる代表作として結実した。「母と子」のテーマはその後も追求され、80歳を過ぎての作品《母と子:台座》ではより抽象的な形に近づいているが、小さな生命をいとおしむ大きな母親の姿は、ある普遍的な価値を体現している。

「ファミリー・グループ」

1905年 ブロンズ 40 × 35 x 22 cm


「母と子:台座」

1983-84年 ブロンズ 244×112×135cm

横たわる像

ムーアによれば、人体の基本となるポーズは「立つ」「座る」「横たわる」の3つであるという。中でも「横たわる人体像は最も自由がきき、構成しやすく、また空間性を持っている。自由がきくと同時に安定性もある」ので、しばしば取り上げることとなった。1924年初めて制作した《横たわる後》は現在残っていないが、1929年にはメキシコのトルテカ・マヤ文化の雨の精霊「チャクモール」像に影響を受けた、首をもたげた特異なポーズの《横たわる像》(リーズ市立美術館)を制作している。その後晩年に至るまで、様々な姿態をとった《横たわる像》がムーアの手から生み出された。《ふたつに分けられた横たわる像 No.1》では、マケット(雛型)の段階ではつながっていた胴体を、岩か山を思わせるようなふたつのフォルムに分けた。「人体の形をふたつに分けると、見る者は『人物像』をそこに期待しないので、もっと彫刻が風景に溶け込むようになる」という意図によるものであった。ふたつのフォルムの間に生まれた空間は緊張をはらんでいる。見る者が位置を変えていくと、ひとつの形が他方の形を隠し、変化に富んだ多様な形状が次々と現れて驚かされる。

「ふたつに分けられた横たわる像:カット」

1979-81年 ブロンズ 407.6×470×225cm


「横たわる像:アーチ状の足」

1969-70年 ブロンズ 259×465×206cm


「ふたつに分けられた横たわる像 No.1」

1959年 ブロンズ 156×244×155cm

内/外のかたち

ムーアが「内/外のかたち」のテーマに最初に取り組んだのは、1939年から40年にかけて制作した《ヘルメット》(ヘンリー・ムーア財団)においてであった。このテーマについてムーアは、「私はひとつの形がもうひとつの形によって守られているというアイディアのもとに彫刻を作っている。〔中略〕《ヘルメット》では、内側は人体像で、それを覆っている外側は、戦いの際に身を守る甲冑のようである。さらに私の心に浮かんだのは、母と子のアイディアであった。生まれて母親に抱かれている子供。母親の胎内にいる胎児。これら全てのものは、内/外のかたちのアイディアに関連している」と説明している。《直立/内なるかたちと外なるかたち:花》は、〈直立/内/外のかたち〉シリーズの第1作であり、外側の花びらが内側の雄しべを守っているようである。有機的な形は、ムーアのシュルレアリスムの摂取を示している。

「直立/内なるかたちと外なる形:花」

1951年 ブロンズ 76×25×23cm

ムーアの制作過程

ムーアは、初期には素描をもとに直彫(じかぼ)りで膨刻を制作していたが、1935年頃から大きなサイズの作品に取り組むようになり、前もって小さな「マケット」(雛型)を蝋(ろう)や石膏、テラコッタで制作するようになった。手のひらに乗るような小さなマケットは、作品をあらゆる方向から見ることができ、形や構図を検討するのに適していた。彼は時には10から20のマケットを試作した。
マケットで考えた形を野外で展示するような、もっと大きな作品に拡大する場合には、まず中間のサイズの「原型」(ワーキングモデル)を粘土や発泡スチロールで制作し、鋳造する。次いでこの原型を均等に拡大して鋳造、最終的に大規模な作品が完成する。このような過程についてムーアは、「作品が〔……〕(本来的に)モニュメンタルなものである場合、好きな大きさに拡大することができる」といっている。例えば《糸つむぎの形》は、最初に高さ16センチメートルのマケットが石膏で作られ、ついで高さ86センチメートルへ、さらに高さ333センチメートルのモニュメントへと拡大された。
完成作品同様、マケットも原型も通常何点か鋳造されたが、このように同じ型から抜いた作品にはエディション・ナンバーがつけられる。9点抜いた内の3番目のものであれば「3/9」というように、作品の目立たない部分か台座に刻まれている。
ブロンズには薬品を用いて表面に緑青(ろくしょう)(パティーナ)を施した。緑青は銅に生じる錆であるが、人工的に生じさせて彫刻の表面に絵画的効果を与える。ムーアは展示する場所に合わせてその色を変えることもあった。

「大きな糸つむぎの形」

1968-74年 ブロンズ 333×330×230cm


「糸つむぎの形(原型)」

1968-69年 ブロンズ 86×68.5×66cm